東京地方裁判所 平成3年(ワ)3361号 判決 1992年10月26日
原告
舘林満行
右訴訟代理人弁護士
安達正二
被告
東洋建材興業株式会社
右代表者代表取締役
高木富次郎
右訴訟代理人弁護士
真野稔
同
湯浅甞二
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 原告が被告に対し雇用契約に基づく権利を有する地位にあることを確認する。
二 被告は、原告に対し、金三三七万三三三三円及び内金一七万三三三三円に対する平成二年八月二六日から、内金四〇万円に対する同年九月二六日から、内金四〇万円に対する同年一〇月二六日から、内金四〇万円に対する同年一一月二六日から、内金八〇万円に対する同年一二月一五日から、内金四〇万円に対する同年一二月二六日から、内金四〇万円に対する平成三年一月二六日から、内金四〇万円に対する同年二月二六日から、それぞれ支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告は、原告に対し、平成三年二月二一日から毎月二五日限り金四〇万円及び毎月七月と一二月の各一五日限り金八〇万円を支払え。
第二事案の概要
一(争いのない事実)
1 被告は、土木建築材料である埋め込み金具等の製造販売等を目的とする会社である。
2 原告は、昭和六三年一月一八日、営業部長として月給四〇万円、毎月二〇日締切二五日払の約定で被告に雇用された。なお、原告は、右雇用契約前に約一一年間被告に勤務し営業業務に就いていたことがあり、その際は被告会社を退職して舘林建材工業株式会社を設立して経営するようになったが、昭和五七年七月に倒産した。
3 被告代表者は昭和六三年三月に脳溢血で倒れ、療養生活を送るようになった。被告会社には多額の負債があり、また、代表者が倒れたことで従業員らは被告会社の先き行きに不安を抱き、平泉と原告を残して他の者は退職してしまった。同年五月ころ、経理担当事務員として駒場満里子が新規採用となり、その後、会社清算手続などがとられ、被告代表者の自宅処分による負債の整理が行われた。そして、被告会社に残っていた原告や平泉及び駒場らに対しても一旦退職金及び特別手当金ということで金員の支払がなされたが、平成元年五月会社継続の決議がなされ、平泉が取締役となって、被告は同じ営業を継続している。また、そのころ、それまで営業課長だった平泉が営業部長となり、原告は、営業部長から営業課長に降格となった。なお、原告の賃金は、同年七月、一旦月給総額三五万円に減給となったが、原告の要請で、翌月から月額四〇万円に復していた。
4 平成二年七月、被告代表者は、平泉と駒場に対して毎月の支給額を月額二万円ずつ加給することにした。また、駒場に対してはそのころ一〇万円が被告代表者から支払われた。
5 原告は、同年八月七日、被告代表者に対し、被告会社近くの喫茶店において、平泉と駒場は昇給しており、また、同人らには賞与の支給があったとして、昇給と賞与支給を求めたが、被告代表者は、平泉と駒場の場合には交際費や役付手当であって昇給ではない、賞与の支給はしていないと説明して、原告の右申し出を拒否した。原告は怒り、席を立って帰社し、名刺を屑籠に捨てて退社した。
6 原告は、翌八日から同月一九日まで、被告に何らの連絡をせず出社しなかった。
7 原告は、同月二〇日被告会社に赴き、被告会社事務所の鍵を返して退出し、平泉からの求めに応じて後日健康保険証を返還した。
8 原告の同月七日分までの賃金は支払済である。
9 被告は、合意退職を理由に原告の従業員たる地位を否定している。
二(争点)
原告は、請求記載の地位の確認及び賃金等の支払を求めており、本件の中心的争点は、合意退職の成否である。
1 被告は、次のような事実経過を主張する。
すなわち、原告は、平成二年八月七日(右一5の際」、「こんな会社には勤められないから退職する」旨言って退社し、被告もやむを得ないものとしてこれを承認した。名刺を屑籠に捨てて退社した原告は、翌日から出社せず、何の連絡もして来なかった。被告は、原告が自ら退職したものとして同月一七日に原告が所持していた鍵と健康保険証の返還を求めた。原告は、同月二〇日に来社し、鍵を返還したが、健康保険証は原告の妻が病気で使用中ということで持参しなかったので、平泉が健康保険を継続使用できるように手続をすることを話し、その後、その手続をし、健康保険証の返還を受けた。
右のような事実を主張し、その法律構成として、平成二年八月七日の原告の右発言は合意退職の申込みであり、被告はこれを同日受け入れたから、ここに原被告間の退職合意が成立した、と主張する。
2 原告は、自ら辞めると言ったことはないとして被告の右事実主張を否認する。
なお、原告は、「平成二年八月二〇日、原告は、出社して仕事をしていたところ、夕方出社した被告代表者から、『もう明日から来なくていいから』と言われた。被告は、原告が同月七日に何枚かの名刺を屑籠に捨てたこととか、平成二年八月八日から同月一九日まで休んだことが許せないと考え、一方的に解雇したものである」と被告の援用しない自己に不利益な事実を陳述した上、「原告としても理由なき差別を受け、感情的になっていたことは事実であるが、夏休みと有給休暇を利用し、少し冷却期間を置けばと考え、結果的に無断で休んだことになるが、解雇されるいわれはない」として解雇の無効を主張する。
3 なお、請求記載の賃金等請求の原因につき、原告は、平成二年八月八日以降の賃金が支払われてないところ、同日から同月二〇日までの賃金の日割計算によると同月分の未払賃金は一七万三三三三円になる、賞与については雇用契約上毎年七月一四日と一二月一四日にそれぞれ賃金月額の二か月分を支払う旨の合意をした、と主張し、平成二年八月八日からの各月の賃金と賞与及びこれらに対する各弁済期の翌日からの民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めており、被告は、賞与の約定を否認する。
第三争点に対する判断
一 争いのない事実及び証拠(略)を総合すると、次の事実が認められる。
1 昭和六三年三月初め、被告代表者が脳溢血で倒れ、約三か月間入院した。被告会社には約一億円の負債があったこともあって、従業員らは被告会社の先き行きに不安を抱き、退職の希望を述べるようになり、被告代表者の妻高木頴子が被告会社の委嘱している税理士とともに従業員を集めて、被告代表者の個人資産の処分により負債を整理して被告会社を継続したい旨話したが、平泉と原告を残して他の従業員は、残留の要請に応ぜず間もなく退職してしまった。被告会社では経理担当者がいなくなったため、同年五月ころ、駒場を新規採用した。病状の回復した被告代表者は、妻頴子の介添えで出社するようになり、その後、自宅等を処分することによって負債を整理し、原告や平泉及び駒場に対しても一旦退職金及び特別手当金名目で金員の支払をしたが、平成元年五月からは、平泉を取締役として同じ営業を継続している。また、そのころ、それま営業課長だった平泉が営業部長となり、原告は、営業部長から営業課長に降格となった。なお、原告の賃金は、同年七月、一旦月給総額三五万円に減額されたが、原告が生活に響くとして旧に復することを要請したため、被告代表者は、取引先の新規開拓を原告に約束させて、翌月から月額四〇万円に戻した。
2 被告は、平成二年の夏期賞与については、赤字が約三〇〇万円累積している状況だったため支給しなかった。駒場に対しては、そのころ被告代表者の自宅に被告会社の経理についての報告に来た際に、被告代表者が同女の労をねぎらう趣旨で、個人の金を一〇万円同女に与えたが、それは被告会社からの賞与ではなく、平泉に対しても賞与支給はなかった。
また、被告代表者が必要な経費は被告会社に請求するように言っていたにもかかわらず、平泉は、交通費や交際費がかかって自らその支払をしたときも、被告会社に立替金としての支払を請求せず、自分で負担してしまっていたので、平成二年七月、被告代表者は、同人に対して、これらの必要経費に充てるようにという趣旨で毎月二万円を支給することにした。また、同時に、現金を取り扱い、適宜自宅まで報告に来てくれている経理担当の事務員駒場満里子に対しては、経理担当者としての手当が従前四万円支給されていたのを月額二万円増額して支給することにした。
3 原告は、毎月の支給額が自分だけは据え置きのままなのに平泉や駒場は増額になったことや、駒場から「被告代表者から一〇万円もらった」という話を聞いて不当な差別であると大いに不満に思い、同年八月七日午後三時過ぎころ、被告代表者に話があると申し出て、被告代表者及び介護の妻頴子とともに被告会社近くの喫茶店に行き、そこで、「平泉と駒場は昇給し、賞与を支給されているから、自分も昇給と賞与支給をしてほしい」旨求めた。これに対して、被告代表者は、「平泉は、平素交通費や交際費を使っても被告会社に請求していないため、それを補填してやる必要があるので、加給したにすぎない。また、駒場に対する加給は経理担当者としての役付手当を支給することにしたもので、いずれも単なる昇給ではない。また、利益が上がらないので賞与は出せない。駒場に支払ったのは賞与ではない」旨説明して、原告の右申し出を拒否した。すると、原告は、「こんな会社にはおれない。被告会社を辞める」と言って、席を立ち、頴子の止めるのを振り切って帰社した。なお、その際、原告が右のような発言をして席を立ったのに対して、被告代表者は、これを引き止めるようなことはせず、喫茶店の勘定の支払をしていた。先に帰社した原告は、間もなく戻った被告代表者らの面前で、何枚かの名刺を掴んで屑籠に捨て、「こんな話にならない会社にはいられない。会社になんか来ない」と言って同日午後五時前ころ退社した。右に際し、被告代表者らは、原告を引き止めたりはしなかった。
被告代表者は、平泉に対し、「原告が退職した。もう仕様がない」と告げたため、平泉は、原告のタイムカードの同日の退社時刻欄に「中途退社」と記載した。また、被告代表者は、平泉に対し、「こちらから辞めろと言ったことはないのに」と話した。
4 原告は、翌八日から同月一九日までは、被告会社に赴いたことはなく、自ら何らかの連絡をとったこともない。
被告は、原告がいなくなって人手が足りなくなったため、職業安定所に手配して新規に従業員を募集し、同年九月からは別の者を雇っている。
また、被告は、前記の原告の言動から、原告の退職意思が強固なものと判断し、同年八月八日ないし同月九日ころ、原告が自己都合により退職したものとして、健康保険や厚生年金の関係の手続をとるよう委託し、さらに、同年八月一七日付けの文書で、原告に対し、健康保険証と被告会社の鍵の返還を求め、右文書は同日、原告に到達した。
5 原告は、同月二〇日午前八時三〇分ころ被告会社に赴いた。原告のタイムカードには、同日欄に「八時三〇分チ」との記載があるが、右「チ」との記載は、そもそもは「遅刻」の意味であるが、タイムカードの機械が自動的に所定始業時刻を過ぎて挿入されたカードに打刻するもので、原告がタイムカードを機械に入れたために刻されたものにすぎない。
原告は、被告会社事務所で「今日一日いようかな」などと言っていたが、平泉は、午前一〇時ころから社用で社外に出てしまった。その後、原告は、入荷して倉庫内にそのままになっていた商品の積み替え作業をしたりしていた。
当日、被告代表者は、午後四時ころ頴子に介助されて出社した。被告代表者が、原告の姿を認めて、「何しに来た」と言ったところ、原告は、「鍵を返しに来た」旨答えてすぐに退出した。
なお、同日、原告は、被告会社事務所の鍵を返還したが、健康保険証については、原告の妻が療養中であったため、同日は健康保険証を持参せず、引き続き使わせてほしいと平泉に求めた。そこで、平泉は、退職しても引き続き健康保険を使用できる制度があると説明し、退職後の任意継続の手続を駒場にとらせた。そして、後日、原告は、平泉からの求めに応じて健康保険証を返還した。
以上の事実が認められ、この認定に反する(書証略)及び原告本人の供述の各一部は採用できず、他に同認定を覆すに足りる証拠はない。
二 原告は、自ら退職する旨の意思表示をしたことはないと主張するので、この点について付言する。
1 原告本人は、同日の喫茶店での話合い後、席を立つときには、かなり感情的になって「話にならない。こんな会社におれない」とは言ったが、「辞める」とは言っていない、と供述し、(書証略)の陳述書においても同旨の記載をしているが、前掲各証拠によって認められる前後の経緯事情並びに(人証略)及び被告代表者尋問の結果を総合すると、原告は「辞める」と明言したものと認められ、これを否定する原告の供述部分は措信できない。
2 なお、原告が、平成二年八月七日ないし同日以降も、原告には退職の意思はなく、東京都品川労政事務所に相談に行き、被告との交渉の仲介をしてもらっていたと言うところからみると、あるいは、原告としては、同月七日には感情的になっていたので、自ら辞めることは本意ではなかったと言いたいのかもしれない。しかしながら、前記認定の経過からして、右発言は客観的には、明確な退職の意思表示であって、単に一時の感情から出た憤りの言葉にすぎないと解する余地はなく、これをその意思表示を受けた被告代表者において真意と異なるものと解すべき事情は何も認められない。
3 さらに、原告は、自己に退職意思のなかったことを証するものとして、(書証略)を提出しているが、右各号証と前掲各証拠と併せて認められる事実は次のようである。
原告が右労政事務所に相談に行ったのは、鍵や健康保険証の返還を求める前記文書を被告から受け取った後である。その際の相談内容は、部長から課長への降格、賃金引き下げ、定年の引き下げ、賞与が自分だけ出なかったこと、他の者には昇給があったのに自分だけは据え置きにされてきたことの不当を訴えるものであり、担当官から、被告会社に出向いて自分の方から辞める意思はない旨表明しておいた方がよいとの助言を受けた。その後同労政事務所を介してなされた交渉は、退職に伴う補償の観点から、自己都合による退職金ではなく、会社都合による退職金の支払を受けたいこと、過去の降格が不当であるとしてその降格がなかった場合の賃金との差額の填補、再就職までの賃金補償、再就職後の賃金差額の補償を求めるものであった。また、被告が離職票に自己都合退職と記載したため、原告は、公共職業安定所に、自己都合退職ではなく、会社都合退職の扱いを受けたいとして交渉してその給付を受けた。同労政事務所から財団法人法律扶助協会への紹介の趣旨も、平成二年八月の退職を前提として、退職に伴う補償についての前記のような相談につき法的手続をとることについて同協会の助力を求めるというもので、同連絡票にも同月退職を前提とすることが明記されている。
以上のような事実が認められるのであり、(書証略)は、むしろ、原告が被告からの退職を前提として諸種の金銭的な要求をしていたことを示しており、これらの事実は、原告が被告に対する労務提供意思を継続して有してはいなかったことを推認させるものといわざるを得ず、前記認定を何ら覆すものではない。
三 前記認定事実に基づいて考察するに、原告は、平成二年八月七日、自ら被告を退職したいとする意思表示をしたものであるが、法律上、その意思表示は、合意退職の申込みとも、また、使用者たる被告の意思いかんにかかわりなく一方的に退職する旨の雇用契約解約の告知とも解釈し得るものといえる。そして、被告は、右とその後の一連の事実経過を主張しつつ、その法律構成として、同日の原告の発言は合意退職の申込みであり、被告はこれを同日受け入れたから、ここに原被告間の退職合意が成立したと主張する。しかし、同日中に被告から原告に対して明示の承諾の意思表示がなされたものと認めるに足りる証拠はない。被告としては、黙示の意思表示と構成しているようでもあるが、原告の退職の意思表示に対する当日の被告の態度としては、被告代表者が、同日の喫茶店でのやりとりの際、原告が当該意思表示をして席を立ったのに対して、自分も席を立って勘定の支払に行き、原告を引き止める言動に出なかったこと、被告会社に先に帰社した原告が、間もなく戻った被告代表者らの面前で前示のような言動の後退社した際に、これを引き止めたりしなかったことが認められただけであり、これらの事実だけでは、合意退職の意思表示に対する承諾の意思表示があったと解することはできない。しかしながら、被告は、同月一七日には、原告に対し、文書で健康保険証と被告会社の鍵の返還を求めているところ、右は原告の合意退職の意思表示に対する承諾の趣旨を包含するものと解されるから、これが原告に到達した時点で退職の合意が成立したものと認めるのが相当である。
四 したがって、原告の被告に対する雇用契約上の地位は平成二年八月一七日限り失われたものというべきであり、原告の退職の意思表示後右合意成立までの間、原告が稼働していないことは前記のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は失当である。
(裁判官 松本光一郎)